観劇ノート@20181101
11月は観劇2本目。(演劇は、〜回目じゃなくて〜本目っていう。)
演劇って高いよね。
(冒頭から文句みたいなことすみません。でも県外だったらもっと高い。沖縄はまだチケット安いほうらしい...)
2500円の演劇を2本みると、
5000円分使ったことになって..
最近は化粧道具が欲しいから...
お化粧品5000円分買えたかも!っとか
思いながら、
それでも、わたしは演劇をみにいく。
(笑)
観劇したものは、京都からきた劇団の
劇団しようよの『パフ』。
最初のほうに化粧について触れてましたが、顔面はなにも手をかけず、前の用事から劇場に向かうのが遅れて、ギリギリ
はじまりに間に合った。ひゃ..遅刻..
と、その前にこの前日に
劇団しようよの大原さんによる
会話劇ワークショップを
受けたのでその話。
大原さんが書いた台本をつかって、
コミュニティケーションワークショップと、今日初めて出会った人と作品をつくった。
劇団しようよの役者さんたちと音楽担当の吉見さんも混ざってワークショップが始まった。
台本の内容が
カップルのはなしだったのだが
初めてあった人とカップルのふりを、することは新鮮!(笑)
実際に10分練習して、発表した。
6ペアいて、6ペアとも同じシーンをしたのにもかかわらず、同じ作品をみてるのか?とう印象だった。
最終的に台本を通して空間をどう使うか?という問題になった気がする..。
わたしはこの時間で、舞台にある「もの」、舞台セットによって物語の展開がとても変わることに驚いた。
モノボケ?笑 に目覚めそうな私。
空間遊びが楽しかった。
と、
ワークショップで演出家さんや役者さんと、
交流した後の観劇!
最初からなんとなく
心のなかで、「今日は泣ける」どんな涙が待ってるのか..なんて思いながら観劇し始めた。
そして始まった瞬間
頭の中に「映画みたい...」って言葉が浮かんだ。
映画みたいってなんやねんって心で呟いてて、映画的ってなんだろ?って思いながら、観てた。
でも確かに過去にもう一つ
「映画的」って思う演劇はあった。
6月にルーマニアでみた、「FAUST」だ。(2019年1/23に銘苅ベーすにてシビウ国際演劇祭の報告会します.突然すみません。)
その時がはじめて演劇をみて、「映画みたい」という言葉が観劇後でできた。
演劇は、もちろん映画の様に役者の顔は勝手にズームにならない。
映画では、アングルや画角、カット数で作家の特徴がわかる。
映画らしさ..なんてことは、なかったのに映画みたいって思うことは、なにか特徴がありそうだ。
そんなことを思いながら、物語は進んでいった。
今回の作品の特徴は、大きな声ではなくて、普段の会話の声の様だったこと。
主人公が元気でみんなを引っ張っていくではなく、最初は、ボソボソした話し方。
でも途中の祭りの時に声が一番大きかった。そんなところに、主人公の生命力を感じた。主人公は、祭りを通して生きたいと叫んでいた。
わたしは、現在
特に大学で平和学習について、
調べてるってこともあって、
この物語が沖縄の問題に似てるって
思った。
大学生になって
沖縄の平和学習に出会った若者は、
お年寄りから話をきいたり、戦跡めぐりのフィールドワークに行くようになって、
沖縄の現実さの異常さにはじめて気付く。
しかし、就職と共に学ぶ環境は、またなくなっていく....
でも若者が叫んでも、
世の中はどうせ変わらないし
本当に、
「正直さ」と「現実」は関係ない。
そんなことを思いながら、
主人公が一生懸命、島に一緒ににのこったおじいちゃんを担いでるのか、島の問題をひとりで担いで苦しんでいるようにもみえた..シーンに
とても苦しくなった...
ある架空の物語から沖縄を客観的にみてるようにも思えた..
と、涙止まらなくなった。
アフタートークでは、
映像作家、美術家である山城ちかこさんと
作・演出家でもあり、さっきまで老人ホームにいた志島さんの大原さん
の2人のアフタートーク。
まず、ちかこさんも
一言目に「映像的だった」と切り出したことにとてもおどろいた。
ほんとに映像的ってなんだろう。
この映像的ってなんだろうは、いつか答えがでるのだろうか。その答えがでるまでたくさん観劇しよう。
......観れば観るほど、演劇って不思議な芸術だと感じる。
ワークショップも、観劇も...
また、演劇の魅力を発見した週末だった。
今だって、演劇がなければ、こんなに伝えたいと思うきもちは、湧かなかった。
わたしは100分の間で旅をしてきたのだと思う。
演劇は、人を想像の旅へと連れていく。だからわたしは、観劇をやめられないのだろう。
今度は京都旅しながら
いろいろ劇団しようよの作品をみてみたいなーって楽しい気持ちになりながら、
帰宅した。ははは..(笑)