タマリナァップデート

タマシロリナ、略してタマリナ。タマリナのアップデートな日々へようこそ

笑顔満開!沖縄の芸能の魅力、再発見!

新年初のCulPreのブログです!!🙇‍♀️


2019年始まったと思えば、

もう、1月が終わります!

って、考えすぎか。


一日、いちにち自己ベストを

更新していきたいものです。

(卒論が2/8で締め切りで追い込まれてるのですが、忘れないうちに書き留めたいと思い、

今回ブログを更新します。)


CulPre一発目のブログ内容は、


「組踊(くみおどり)」です。

1/20(土)に、パレット市民劇場にて

鑑賞してきました。







沖縄に生まれ、沖縄で育ってきましたが、

組踊鑑賞は、人生で2回目です。


その前に「組踊」とは、なんぞや??!


「組踊」は、沖縄独自の300年続く演劇です。

なんと!今年がちょうど300年目のメモリアルイヤーです。


「組踊」とは、与那覇(1992)によると、

組踊を創作した最初の人は、

玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)さんで、

彼は、首里の士族の家に生まれ、若い時から芸能が好きで、沖縄固有の音楽や舞踊はもちろん、

本土の能・狂言・歌舞伎・浄瑠璃などにも造詣が深かい好奇心旺盛な人だったそうです。


また、首里王府の役人として、

薩摩(鹿児島)へ7回渡航し、そのうち2回は薩摩を経て江戸まで行っていました。


これらの機会に多くの芸能を見聞しました。


それらの見聞と沖縄の言葉、音楽を、混ぜ合わせ

「組踊」を仕上げたそうです。


沖縄では、「組踊」以前までの芸能は、

ほとんどが宗教的行事の中で演じられ、

神への祈願や感謝の意を込めたものでした。


彼は、その様な島々の神行事や村おどりの場で行われている所作などを取り入れ、「組踊」を創作しました。


神秘的な所作を取り入れていくことで、

優雅な格調高い芸術作品と仕上がっていき、

300年も沖縄の人々に愛されるものとなりました。


「組踊」が正式の場ではじめて上演されたのは

1719年の、尚敬王冊封の時です。

冊封使とは、国王の代替わりごとに中国から新国王に冠を授けにくる使者のことです。


国賓として歓迎され、沖縄の人たちは、

踊り、歌などを

振る舞いその人たちを迎えました。


その振る舞いの研究を重ねた結果、

「組踊」が生まれたのです。


その初のお披露目に披露した組踊が

「二童敵討(にどうてきうち)」

「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」

だそう。

この公演は、約30分〜40分で作られています。


現在でいう、「うぇるかむんちゅになろう」プロジェクトの演劇バージョンかな??


この演劇スタイルが300年も続き

現在24歳であり 300年の3分の1も生きていない

私には、「組踊」=「眠たい」というイメージが

離れなく、知ろうともせずに、時が経っていたところ。


今回の「琉歌ワークショップ」.と、「組踊」を観ることになりました。


「組踊」鑑賞の前に、

「琉歌ワークショップ」を受けました。


▶︎11:00〜「琉歌ワークショップ」

@ゆいまーる  沖縄 スタート


講師は、組踊実演家(歌三線)の仲嶺良盛さん


組踊についての話からはじまり、

組踊は、琉歌8886で構成されてることを

初めて知りました。


なので、組踊を見るときは

8886になっているか、数えながら

観ると面白い🤣ということを

教えてもらいました。


そして、さっそく、琉歌を自分でつくる

ワークショップが始まりました!


自己紹介文を8886にのせて創作しました。


私は、


我や那覇

宇栄原どやるる

ちゅらのりなでむぬ

かなささりり。


6886と、変化形で完成。



悩んでいたところを

講師の仲嶺さんに

手伝ってもらいました。


方言も浮かばないし、

8文字ピッタリにすることが難しい。



琉歌の意味は、

私は那覇の宇栄原に住んでる

美しいりななので、愛してください。


(笑)


ナルシストにも程がありますが、

もはや突き抜けて笑いに変わりましたね。

「かなささりり」のアイディアは、

講師の長嶺さんにいただきました。




次は、さらに詳しく

自分のことを琉歌で語るということで

わたしはこれをつくりました。


我やちゅらぬしちゅる

タマリナどやどぅる

いちばんしちゅるしや

うちなーあおぞら


日本語の意味は、



わたしは、美しいものが好きな

タマリナです。(タマリナは、たましろりなの短縮したあだ名)

一番好きなものは、

沖縄の青空!




琉歌ワークショップに一緒に参加した

沖縄文学賞にて沖縄県知事賞をとる戯曲を書く

兼島拓也さん


まつもと市民芸術館の制作を担う土屋和歌子さん



モモンガコンプレックス主宰でありコンテンポラリーダンサーの白神さん


アトリエ銘苅ベースの制作を担う、鳥居さん


という豪華なメンバーでした。


隣にいたかたは、

先祖が竹富島で同じルーツを持っていたということがわかり、とても大盛りあがりでした。



と、組踊を観る前に琉歌ワークショップを

受けたわたしは、


南風原にあるゆいまーる沖縄本社で

ワークショップが行われたので、

そこからパレット市民劇場まで、

原付で移動いたしました。


と、ここで長くなったので

午後に観た「組踊」については、

また別にかきます。


そして、いちばんいいたかったことは、

今日のおきなわのあおぞらは、最高にいいということです!




ということで、わたしの琉歌を


我やちゃらぬしちゅる

タマリナどやどぅる

いちばんしちゅるしや

うちなーあおぞら

https://www.instagram.com/p/BtLB4ntDpJ2/

サッラサラ

https://www.instagram.com/p/BtPbxf1DE81/

うちなーあおぞら自撮り😃





私が300年前の人だったら、たまぐすくさんのファンだったはずなぁ。今でいう、チームラボみたいな感じかな?

たまぐすくさん、似ている苗字ですね。

もっと沖縄の芸能について教えてください。


馴れ馴れしくたまぐすくさんに

声を掛けてみました。

声聞こえないかなあ。


(笑)


タマリナの芸術探求の旅つづく。


企画のゆいまーる  沖縄さん

講師の組踊実演家長嶺良盛さん

ありがとうございました。


講師の良盛さんは、

今年、歌舞伎に挑戦する機会を頂いているそうです。今後の琉球芸能のさらなる発展を盛り上げる

仲嶺さんの活躍が楽しみです!!!



なんか写真貼り付けしようとしたのですが

機械の不具合で、できないので

文字多めでごめんなさい。


*参考文献*

那覇 章(1998)『沖縄の文学』.沖縄時事出版.p106